名付けについての雑感

この前相方の黒子ちゃん(iPod nano)を大々的に落としてしまった。それはもう派手に。
そのせいかどうかは定かではないが、どうも挙動が若干おかしい。精密機械なのだから仕方ないだろう。
画面もドット欠けのようなラインが幾本も走っている。
それがまた可笑しい。
―_―
こんな感じで。宛ら顔のようにも見える。
なんとも形容しがたい愛嬌がある。


私はよく物に名前をつける。先程の黒子ちゃん然り、携帯電話には白子ちゃん、先代のパソコンにはエリザベス、愛用の自転車にはレッドと。他にも名前は付けている。
物に名前をつけると言うことは、即ち魂を宿らせることだと思っている。
かつては呪いに使う人形に名づけ効力を強くしたり、子供に名付けるときはその後の人生に良い影響を与えるものであるようにという願いを込めて。また、悪霊から守ってやるために。


人形に名前をつけると霊が宿るという。どこの地方だか忘れたが、子供を幼い時に亡くした夫婦がいた。
遺灰の隣には「わか子」と名付けられた日本人形が置かれていた。
どうしてそれを置いたのか尋ねると夫婦は微笑みながらこう答えた。
「死んでしまったあの子ももし今生きていればお嫁さんを迎えても良い年頃。私たちはあの世でもお嫁さんに困らないようにと人形に名づけ、そしてあの子の許へと送ってやったのです」
きっとその夫婦の息子はあの世でわか子さんと仲睦まじく“余生”を送っているのではないだろうか。


話は戻り。
物に名前をつけることによって「大切にしよう」という気持ちが湧き上がる、と私は思っている。
幼い子供が人形に名前をつけて可愛がるのと同じように。


多分これからも、いやずっとこのスタンスは変わらないと思う。
名前をつけ、使い続けていくうちにその物たちが愛おしくなる。長く使い続けられるようにとメンテナンスをしてやり、可愛がってやるのもなかなか良かったりする。


余談だが、物を長い間使っていると付喪神が宿るという。
神様が宿るのならばそれはそれは大切に使ってやらないといけない。
付喪神についての私の雑感は過去に書いた日記(http://bit.ly/ecZjAL)を参考にしていただくとありがたい。